月蝕
月に蝕まれし者よ
その命
その心
全て喰ろうてくれようぞ
覆れし月の闇底に
全て散らせてくれようぞ
深い森の中
しんしんと降る冷たい雨を横目に、犬夜叉は隣でうずくまっている少女の額に手
を当てていた
「苦しいのか?」
「かごめ・・・」
長旅が祟ったのか、それとも皆に気兼ねして、ずっと我慢をしていたのか、夕餉
の支度中に、かごめが倒れたのは一刻ほど前の事だった
四魂の欠片が集まる度、空を覆い尽くすように強まってくる邪気に、犬夜叉達は
じりじりと焦っていた
それは、奈落の手によって、四魂の玉がもう少しで完成してしまうという事を、
意味していたからだった
犬夜叉達は、相当無理を重ねながら、奈落の行方を追っていた
そんな中、かごめが突然倒れてしまったのだった
「犬夜叉、ごめんね・・・」
「みんなに、心配かけちゃって」
「後、もう少しで、奈落の居場所がわかった筈だったのに・・・」
「気に、すんなよ」
「今、弥勒達が薬草を採りに行ってるから、もう少し辛抱してくれな?」
「うん、ありがと犬夜叉」
いつの頃からか、さっきまで止んでいた雨が、雨露を凌いでいる小屋の屋根に再
び強く降り始めていた
心配そうに私を見つめてくれる犬夜叉の表情(かお)が、何故か堪らなく嬉しい
苦しそうな表情に嬉しそうな笑顔が混じった顔で、かごめは犬夜叉をじっと見上
げていた
犬夜叉の傍に、こんなに長い時間いるのは、本当に久しぶりだった
常に、毎日その日の宿を探しながらの移動のため、ふたりだけになれる事は滅多
になかったから
「うん?」
「どうした、かごめ?」
「ふふっ、なんでもないよ」
「俺が傍にいるから、ゆっくり寝ていろ」
犬夜叉はそう言うと、自分の緋色の衣で、かごめの身体を包み込んだ
「暖かい」
「ありがと、犬夜叉」
そっと差し出されたかごめの手を、少し照れながら犬夜叉は優しく握り返した
囲炉裏の炎が、時々揺らめき爆ぜては、かごめの横顔をぼんやりと浮かび上がら
せている
かごめ、少し・・・痩せたか?
緋色の衣に包まれて眠る、少女の儚い雰囲気に、犬夜叉の胸の奥がざわめきだす
無理・・・してるんだな
かごめ・・・
「んっ?」
時々咳き込んでは、うっすらと目が覚めるのか、熱を帯びた顔を犬夜叉に向けて
は、安心したようにまた瞳を閉じた
雨が更に強くなり、古びた小屋のあちこちから雨漏りが酷くなって来た頃、弥勒
や珊瑚達が、びしょ濡れになりながら戻って来た
「犬夜叉、すまない」
「途中、雨足が強まってしまって、薬草を採るどころでは無くなってしまいまし
た」
「この時分では、暫くこの小屋に足止めをされてしまうかもしれません」
「かごめちゃんの具合は、どうなの?」
紅い衣に包まれたかごめを心配そうに、珊瑚と七宝が覗き込んでいる
「かなり、辛そうだ」
かごめをみつめながら、そう言った犬夜叉の表情(かお)もまた、辛く苦しそう
だった
「犬夜叉、かごめ様を御自分の国へ帰してあげたらどうですか?」
「せめて、具合が良くなるまでの間だけでも・・・」
「きっと、向こうには良い薬もあるのでしょうから」
「犬夜叉、このままでは、かごめ様が気の毒です」
熱があるのか、衣の中でかごめの身体が小刻みに震えだすと、途切れる事の無い
弱々しい咳が、小屋のなかに広がり始めていた
「弥勒、頼みがある」
「かごめを雨に濡れねえようにして、俺の背中に乗せてくれねえか?」
「お止めなさい犬夜叉、この雨の中に、かごめ様を連れて行くのは無茶だ!」
「せめて、雨が止んでからにした方が・・・」
そう言った弥勒の声が、突然止まった
「どうしたの、法師様?」
珊瑚の心配そうな声に、弥勒はうめくように呟いた
「まずいな、肺炎をおこしかけている」
「このままでは、危ないぞ・・・」
小屋の中に広がる弱々しい咳が、次第に間隔の無いものになって来た時、犬夜叉
はかごめを背負い、横殴りの雨の中を骨喰いの井戸めざして、飛び出していった
かごめが無理をしていたのを気付いてやれなかった事を、犬夜叉は後悔してい
た
きっと、今までも随分と無理をしていたに違いない
囲炉裏の炎にぼんやりと浮かび上がった、かごめの痩せた横顔が、犬夜叉の脳裏
からずっと離れなかった
かごめを背負い、犬夜叉は風のように、深い森の中を駆け抜けていった
ドンドン!
「おいっ、誰かいねえのか?」
「早く、開けてくれよ!」
「かごめが、大変なんだよ!」
家の灯りが次々と点くと、玄関から、かごめのママと草太が、急いで飛び出して
きた
「かごめ!」
「ねーちゃん!」
「一体、どうしたの?」
「旅の途中で、倒れちまったんだ」
雨に打たれている犬夜叉の表情(かお)も、かごめと同じくらい辛そうにゆがん
でいた
「と、とにかく中に入って、さあ、早く」
かごめを抱きかかえるようにして、かごめのママは犬夜叉に、中に入るように促
した
しかし、犬夜叉は
「此処で・・・いい」
と言ったきり、暫くそこから動かなかった
やがて、かごめの咳が少し収まったのを聞き届けると、犬夜叉はそのまま闇に紛
れるように、戦国の世に消えていった
犬夜叉達が、楓の村に戻る頃には、幾分雨は小降りになっていたが、それでも時々
強い横殴りの風を受けて、額に掛かる雨を掌で拭いながらの道中になった
途中、弥勒は犬夜叉に、かごめの容態を聞こうとしたが、何故か犬夜叉は答えよ
うとはしなかった
一言、「大丈夫だ」と返事をしたきり、ずっと黙り込んだままだった
実際あれから、かごめは肺炎をこじらせて、そのまま入院してしまっていた
「かごめ・・・」
一度だけ、かごめに会いにやってきた犬夜叉は、かごめのママからその事を聞か
された
帰り際、かごめのママは、犬夜叉に諭すように話し掛けた
「ねえ、犬夜叉くん、あなた達の時代で何が起きているのか、わからないけど」
「お願いだから、約束してちょうだい」
「いい?」
「絶対に死んだら駄目よ、かごめの為にも、そしてあなた達ふたりの・・・」
「ああ、わかった」
「かごめのことを、頼む・・・」
かごめのママの言葉を遮るようにして、犬夜叉は小さく返事を返すと、そのまま
井戸に向かって走り去ってしまった
先程まで小雨が降っていたのか、少し湿った草の匂いが、井戸の周囲に漂ってい
る
井戸に腰掛けて、少し欠けた月を見上げながら犬夜叉は、かごめとかごめのママ
の顔を思い出していた
「お袋さん、すまねえけどその約束は、守れねえかもしれねえ・・・」
「犬夜叉」
「此処に、居たのですか?」
「・・・」
「よい、月ですね」
「ああ・・・」
「犬夜叉、おまえが考えている事は皆もわかっていますよ」
「でも、本当に良いのですか?」
「ああ・・・これでいい・・・」
「俺は、かごめを・・・あいつを、あいつの時代へ帰す・・・」
「あいつは・・・俺達とは、違うんだ・・・」
「このまま、奈落との戦いが激しくなれば、きっといずれは・・・」
「四魂の欠片は、あと一つだけだ」
「かごめが居なくても、何とかなる筈だ」
そう呟く犬夜叉の横顔は、堪らないほどの寂しさに溢れていた
無理をしているのは犬夜叉、おまえの方なのだな?
月に照らされて俯く、犬夜叉の寂しそうな横顔を見上げていると、弥勒はかごめ
を想う彼の切ない心の奥に、少しだけ触れたような気がした
「本当に、かごめ様が居られなくてもよいのですか?」
「犬夜叉おまえは、本当に大丈夫なのですか?」
重ねて問い掛ける弥勒の言葉をじっと聞きながら、犬夜叉は静かに口を開いた
「かごめは、俺が守る・・・絶対に・・・」
「奈落は、琥珀を奪い返しに、必ず俺たちの前に姿を現す筈だ」
「奈落が琥珀に埋め込まれている、最後の四魂の欠片を奪いに来た時に、そこで
決着をつける・・・」
「決着って・・・犬夜叉おまえ、まさか奈落と共に消滅する気ではないのか?」
弥勒の言葉が聞こえているのか、いないのか、犬夜叉は独り言のように呟いた
「・・・」
「かごめと琥珀を、死なす訳にはいかねえ・・・」
「かごめ・・・」
蒸し暑い梅雨の切れ間に、ときおり覗く満月が小屋の小さな窓を通して、うっす
らと蒼い光を差し込ませていた
突然、雲母が唸り声をあげると、炎を纏いながら激しく変化をし始めた
犬夜叉達が小屋の外に飛び出してみると、そこには、おびただしい数の妖怪や魑
魅魍魎の群れと、夜空を覆い尽くすかのような酷い瘴気に、声をあげることすら
出来なかった
「そんな・・・」
「奈落の力が、これほどまでになっていたとは・・・」
「弥勒、珊瑚、いいか絶対に琥珀から離れるんじゃねえぞ!」
そう叫ぶと、犬夜叉は腰に差していた鉄砕牙を空高く振り上げ、そのまま遥か上
空にいる奈落のもとへと飛び出していった
「ま、待て、犬夜叉」
「おまえひとりで、どうする気なのだ!」
「まさか本当に・・・おまえはひとりで、逝く気なのか?」
「ねえ、それ・・・どういう事?」
いつのまにか、弥勒達の後ろに、ひとりの少女が立っていた
空高く飛び出していった犬夜叉を見上げながら、弥勒にそう尋ねる少女の、ただ
ならない雰囲気に、しばし皆が息をするのも忘れる程であった
「かごめ様、もう具合は宜し・いの・・です・か・・?」
かごめは、弥勒が思わず口を噤んでしまう程の、凛とした雰囲気に包まれていた
「珊瑚ちゃん、私を犬夜叉と奈落のところまで運んで、お願い!」
「かごめ、ちゃん?」
そう頼む、かごめの瞳には、気負いも焦りも、いや怒りすらも感じられなかった
何か、ある種の慈しみに溢れているような、そんな瞳に珊瑚は戸惑った
「かごめ様、お止め下さい!」
「あの、奈落の結界を破るのは不可能です」
「丘の向こうで、桔梗が放つ矢ですら、一瞬のうちに消滅してしまっているので
す」
「犬夜叉は、あなたを守る為に、そして琥珀の為に・・・奈落と共に消滅をしよう
としているのです」
「犬夜叉は・・・死ぬ覚悟で、奈落の結界へ飛び込んで行ったのです・・・」
「大丈夫よ・・・」
「犬夜叉は、私が守る・・・絶対に・・・」
「死なせは、しない・・・」
そう言って振り向いた、かごめの表情に、皆はまた息を呑んだ
静かで、涼やかな笑みを湛えるその表情が、あまりにも穏やかだったからだった
「かごめ・・・さま?」
「お願い、早く私を犬夜叉のもとへ!」
「ひでえ瘴気だ、それにこの結界の強さは何だ?」
犬夜叉が立つその場所は、ぶ厚い瘴気と結界に包まれた、黒い雲の上だった
「奈落!」
「とっとと、正体を現しやがれ!」
そう言う犬夜叉の足元から、何十という巨大な触手が伸びてきて、あっという間
に、犬夜叉の全身に絡みついてきた
「犬夜叉、ひとりでやって来るとは、いい度胸だな」
「うん?あの小娘は一緒ではないのか…」
「まあ良い犬夜叉、先ずはおまえから始末をしてくれるわ」
天空から鳴り響いてくる唸り声と青白い閃光が、奈落の張った結界のなかで行き
場を失ったかのように、時折激しい轟音とともに、地面にまで届き貫いた
犬夜叉の、想像を絶する闘いの激しさを容易に想像する事ができた弥勒と珊瑚は、
遥か彼方にある、青白く浮かび上がる奈落の結界から、ひと時も目を逸らす事が
出来なかった
突然、結界の中がしんと静まりかえり、青白い閃光が止んだ
「ど、どうしたのだ?」
「まさか、決着が着いたのか?」
「犬夜叉が、勝ったのか?」
結界の中で起きている光景は、弥勒達の願いとは程遠い、残酷なものだった
どす黒い雲の上、奈落の足元に傷だらけの犬夜叉が、無残に転がっていた
結界の中で、犬夜叉はあお向けに倒れてしまい、起き上がる事も出来ずにいた
何なんだよ? これ・・・
身体が、重い・・・
動けねえ・・・
朔は、まだ先のはずだ・・・
どうしたってんだよ・・・この身体は・・・
雨が止み、厚い雲の切れ間から顔を覗かせている月が、今は半分以上が深い闇に
蝕まれていた
「法師様、あ、あの月は何なの?」
珊瑚が指差す空に、揺らめくように、深い闇に飲み込まれてゆく赤黒い月が浮か
びあがっていた
「触・・・だ・・・」
「あれは、月蝕です・・・」
「何故なのかはわかりませんが、長い周期の中で月が深い闇に飲み込まれてしま
う時があるのです」
「しかし、何だってこんな時に・・・」
「月蝕って・・・ねえ、犬夜叉は一体どうなるの?」
「わかりませんが、おそらく朔の夜以上の事が・・・人間に戻ったとき以上に弱く
なってしまっているのかもしれません」
「月が蝕まれるのは、およそ半刻ほどです!」
「犬夜叉、かごめ様が到着するまで、それまで何とか凌いでいてくれ」
「くくくっ・・・」
「犬夜叉、おまえもつくづく運が無いな」
「よりにもよって、月蝕とはな」
「これでおまえを、完全にあの世に葬る事が出来る」
「この四魂の玉、不完全ながらもこれだけの結界が張れるとは・・・」
「みろ、桔梗の破魔の矢でさえも、一瞬の内に消滅するほどだ」
「犬夜叉、おまえをあの世に送った後、琥珀に埋め込んだ欠片を取り出し、ゆっ
くりと四魂の玉を完成させてやろう」
「そうそう、そこにいる桔梗も、元の墓土に還してやらんとな・・・」
胴体を巨大な触手で締め上げられる苦しさに、犬夜叉の意識が少しずつ遠くなっ
てゆく
俺は、死ぬのか?
下で桔梗が、何か叫んでやがる・・・
最後に、かごめに逢いたかったな・・・
もう一度だけ、かごめの顔がみたかった・・・
「かごめ、すまねえ・・・」
犬夜叉の意識が途切れ途切れになり、かごめと出逢った頃の懐かしい光景が頭の
なかを駆け巡っていた
おい、おまえ、この矢が抜けるか?・・・
ったく、相変わらずとろいな、かごめは!・・・
愛してる・・・
かごめ、おまえとひとつになりたい・・・
かごめ?・・・
なあ、かごめ!・・・
かごめ・・・
「かごめ、生きていて・・・くれ・・な・・・」
グルッ、グルルッ!
地の底から絞り出されるような低い唸り声とともに、触手の間から垣間見える犬
夜叉の指先が、微かに動いた
ブチッ!ブチッブチッ!
犬夜叉を覆い尽くしていた奈落の何十もの触手が、一瞬のうちにひきちぎられる
と、その残骸のなかから、紅に染まった妖怪が低い唸り声を響かせて、奈落を睨
み付けていた
そこに立っている妖怪、それは妖しの血に完全に飲み込まれてしまった、犬夜叉
の完全に変化した姿だった
紅い瞳に、紅く染まった鋭い爪と牙、髪の色も今は真紅に輝いて、その魂までも
が荒ぶる紅に染まってしまっていた
「な、何なんだ、おまえ・・・妖怪の血に、完全に飲み込まれてしまったのか?」
奈落の触手を引きちぎった紅く禍々しい生き物、それはもはや犬夜叉と呼べるも
のではなかった
「みろ、奈落が恐怖に怯えているぞ!」
「しかし、あれは、本当に犬夜叉・・・なのか?」
黒くぶ厚い瘴気に満ちた雲の上で、天を仰いで唸り声をあげる禍々しい様相の紅
に染まった生き物に、弥勒達は黙り込んでしまった
紅い衣を纏っていることが、かろうじてその生き物が、犬夜叉であることを物語
っていた
「そんな、あれが、犬夜叉だなんて・・・」
ただ本能のみに支配されてしまった犬夜叉に、弥勒が大声で叫んだ
「犬夜叉ー!」
「おまえは、本当に奈落と共に消滅する気なのかー?」
「かごめ様をひとり残して、おまえは逝ってしまうのかー?」
グルルッ・・・「カ・ゴメ・・・」
「そうだ、おまえが愛した女子(おなご)だ、奈落を倒したら夫婦になる約束ま
で、したではないか!」
「犬夜叉、目を覚ませ!」
結界に阻まれて、それ以上近づく事の出来ない弥勒達が精一杯、変化してしまっ
た犬夜叉に叫んでいる
しかし、完全に変化をしてしまった犬夜叉には、もう弥勒達の声すらも届かなく
なってしまっていた
「駄目だ、この月蝕に誘発されて、犬夜叉の中に眠っていた、妖しの血に完全に
飲み込まれてしまったようだ」
「犬夜叉、おまえはもう、全てを忘れてしまったのか・・・?」
「ただ、おまえの本能が目の前の敵と共に消滅することだけを、命令していると
いうのか」
「月蝕はおまえの全てを、心までをも失わせてしまったというのか・・・」
「くくくっ・・・」
「犬夜叉よ、どう変化しようと、お前が私に取り込まれて死ぬ事に、変わりは無
いのだ」
「おまえのその妖しの力も、全てこの奈落のものにしてやろう」
「おとなしく、私に取り込まれてしまえ!」
再び、奈落の巨大な触手が、紅に染まった犬夜叉の身体に、次々と絡み付いてゆ
く
その時
ビシュッ!
青白い閃光に包まれた矢が、奈落の結界を一瞬のうちに消滅させた
そして、弓を握り締めた少女が、雲母の背中から飛び降りると、犬夜叉を飲み込
もうとしている奈落の目の前に立ちはだかった
「小娘!」
「きさま何故、結界を破れたのだ?」
かごめは奈落の事など、まるで眼中にない素振りで、別の生き物と化した犬夜叉
に視線を向けた
「いぬやしゃ・・・」
そう呟いたきり、かごめはじっと犬夜叉を見つめている
仲間を守る為、愛するひとを守る為、奈落と共に消滅しようとしている犬夜叉
を・・・
かごめの瞳に映るその姿は、変化してもなお、犬夜叉そのものだった
「犬夜叉、あなたをひとりで逝かせはしない・・・」
「逝くのは奈落、あんた独りだけで・・・じゅうぶん・・・」
かごめが、そう小さく呟くと、奈落に向かって静かに弓を絞った
な、なんだ?
この小娘の霊力は・・・
今までとは、まったく違う
強い!
何故だ・・・?
四魂の玉が・・・みるみる浄化されてゆく!
まずい、このまま浄化されてしまったら、四魂の玉を持っている事すら出来なく
なってしまう
青白く光り輝き、浄化され始めた四魂の玉に、奈落自身が飲み込まれようとして
いた
奈落は、半分溶け込んでいる犬夜叉の身体を無理やり引き離すと、素早くかごめ
の矢の届かない距離にまで上昇した
奈落の背後に映る夜空には、再び明るい月が顔を覗かせ始めていた
「ふん、月蝕が終わったか・・・」
「まあ良い、残る四魂の欠片は、後一つだけだ」
「焦ることは無い・・・」
「命拾いしたな犬夜叉、せいぜいその小娘と永久の別れを惜しんでおくんだな」
「次は、無いぞ!」
瘴気に包まれた黒い雲が、みるみるその厚みを失っていった
月が戻った夜空から、変化が解けた犬夜叉が、そのちからを失って勢いよく落下
していった
「雲母、お願い!」
珊瑚が、地面すれすれのところで犬夜叉の腕を掴むと、ゆっくりと地面に犬夜叉
の身体を横たえた
変化の解けた犬夜叉の、その表情(かお)には、まったく精気が宿っていなかっ
た
「犬夜叉、かごめちゃんと琥珀を守るために、ひとりで逝く気だったんだよ」
そう言うと珊瑚は、かごめをそっと犬夜叉の傍に座らせた
「犬夜叉、ひどい怪我・・・」
かごめは、犬夜叉をゆっくりと抱きかかえると、その傷だらけの少年を慈しむよ
うに、自分の胸にそっと抱き締めた
かごめの瞳から溢れ出す涙が、幾筋も犬夜叉の頬に落ちては、伝え流れた
「かごめ・・・か?」
「犬夜叉、気が付いたの?」
「かごめ、おまえはもう・・・こっちへは、来るな・・・」
「もう、俺達の時代に来たら駄目だ・・・」
「おまえは、向こうに帰れば、暖かい家族がいる・・・」
「おまえを、こんな所で死なせる訳には、いかねえんだ・・・」
「だから俺が死んでも、絶対におまえを死なせる訳には・・・」
バシッ!
「ばか!」
「あんた、何言っているのよ?」
「かごめ・・?」
「犬夜叉、私はあんたと居る方が幸せなの!」
「あんたが居なくなっちゃたら、私はちっとも幸せじゃないのよ」
「今朝、病院で目が醒めたとき、とっても寂しかったんだから!」
「もう、ひとりであんな想いをするのは、絶対に嫌なの!」
「それに、もう家族なら犬夜叉、あんたにも・・・」
「うっ・・・」
犬夜叉の手を振り解いて、木の影にうずくまるかごめに、珊瑚が慌てて駆け寄っ
ていった
「かごめちゃん、大丈夫?」
「うん、ごめんね、珊瑚ちゃん・・・」
「すぐに、収まるから・・・」
「・・・」
「ね、ねえ、かごめちゃん?」
「あなた、もしかして・・・」
「うん、そう・・・みたいなの」
叩かれた頬をさすりながら、犬夜叉は、うずくまっているかごめを見詰めて怪訝
な顔で、弥勒に問い掛けていた
「な、なあ、弥勒・・・」
「かごめの奴、どうしたんだ?」
「俺・・・あいつが、ふたりに見えるんだ・・・」
目を細めて、かごめを見ていた弥勒だったが・・・
「確かに、かごめ様の霊力は強まってはいますが・・・」
「しかし、私にはかごめ様は、おひとりにしか見えません・・・」
「・・・」
「もしかして・・・」
「な、なんだよ?」
「かごめ様は・・・やっぱり、おふたりなのかもしれません!」
「なるほど、だから奈落の結界を容易く破る事が出来たのですか!」
「犬夜叉、早くかごめ様のそばに行っておあげなさい!」
「そして、かごめ様からその理由を聞いて御覧なさい!」
「しかし、なんて強い霊力なのでしょうか?」
「かごめ様の放った矢で、一瞬のうちに四魂の玉を浄化してしまうとは」
かごめの胎内に宿る、もうひとりの巫女の強い霊力に、弥勒は未来への明るい希
望を見出していた
一方、犬夜叉は未だ、かごめの周りを遠巻きにうろうろとしていた
「犬夜叉も、かごめ様の霊力に圧倒されて、なかなか近づけないようですね・・・」
「うん?」
「はははっ!」
「何だ、ただ怖がっているだけですか!」
「私達を置いて、ひとりで勝手に闘おうとした罰です」
「少し、かごめ様に懲らしめて貰いましょうか」
「さてと、私もとっとと、この風穴を塞いで、珊瑚と子作りに励みましょうか」
残る欠片は、後一つ・・・
犬夜叉を、守る想いは二つに増えて・・・
そして、本当の最後の闘いが、これから始まろうとしていた
エピローグ
楓の小屋にて・・・
「な、なあ本当なのか、かごめ?」
「うん・・・」
「・・・」
「犬夜叉?」
「怒ってるの?」
「ねえ、何か喋ってよ・・・」
「怒ってなんかねえよ、ただちょっと、その、びっくりしただけだ・・・」
小屋の隅で、犬夜叉とかごめが、こそこそとさっきの話の続きをしていた
聞こえない素振りの弥勒と珊瑚に気兼ねして、ひそひそ声のふたりだったが、次
第に大きくなってゆく声に、嫌でも話が聞こえて来てしまう
「な、なあ、もしかして、あの時か?」
「違うと思う・・・あの時は、ほら・・・」
「そ、そうか」
「じ、じゃあ、おまえの時代に行ったあの時かな?」
「ほら、お袋さんが居ないときに、おまえの部屋で・・・」
「それも、違う・・・かな?」
「あの時は、犬夜叉ちゃんと・・・」
「そ、そうだっけ?」
「・・・!」
「そうか、あの時だ!」
「ふたりで、一緒に風呂に入った時に・・・」
「い、犬夜叉、声が大きいよ・・・」
「・・・」
おーい・・・
おふたりのお話・・・今更ながら、丸聞こえなんですけど・・・
「まったく、こんな話、琥珀や七宝には絶対に聞かせられませんよ」
「ねえ、珊瑚?」
「さ、珊瑚?」
「おまえまで、真っ赤になってしまって・・・」
「あれくらいの話で、赤くなってしまうとは」
「やれやれ・・・」
「私達が、犬夜叉達の様になれるのは、一体いつのことやら・・・」
空には、穏やかな月が犬夜叉とかごめ、そしてふたりのまだ見ぬ愛の結晶を、そ
の蒼い光りで優しく包み込むように、ただ静かに照らしていた
月に見染められし者よ
その運命
その想い
いつか
変えれしその時に
いつか
遂げれしその後に
何れの運命を選ぶのか
何れの想いを遂げるのか
「ところで、かごめ、一体いつ出来たんだ?」
「気になって、仕方ねえよ!」
「なあ、教えてくれよ!」
「ふふ、後でね・・・犬夜叉」
‐fin‐