2.
 

 そのまましばらくかごめは犬夜叉の胸に顔をうずめていた。すると犬夜叉がそっと体を離し
かごめの肩を掴むと、真っ直ぐにかごめをみつめてきた。

「…なぁ、かごめ」

優しく名を呼ばれ、誘われるように見上げた先には飴色の瞳。その不思議な色の中に映る
自分をみつけ、かごめはなんだか落ち着かない気持ちになる。

『…あ…この体勢…』

二人きり、意中の人と見つめ合って、顔の距離も近い…
年頃の娘なら誰しも察するであろう。
これから起こりうる事に思い当たり、かごめの胸が淡い期待で高鳴る。
…自然と目線が薄い色の唇へと行き着き、その唇がゆっくりと開かれ…

「花見、行くぞ」

 

「…………………え゛…」

予想だにしない言葉が発せられ、その意味さえ理解できず、かごめは目の前の
犬夜叉をただみつめる。

「花見だ、花見っ!よし、おぶされ、かごめっ」

言うが早いか、犬夜叉は放心しているかごめの手を引くと、軽々と背負う。

「…え…えぇぇ!?なっ何でぇ?」
「いいからちゃんと掴まれ。行くぜっ」

困惑の表情のかごめは、言われるがまま犬夜叉の背に掴まる。
次の瞬間、犬夜叉は地を蹴って駆け出した。
途端に周りの景色もぐんぐん変わり、風を切って走り抜ける一体感にかごめは目を見張る。

…まるで三年前に戻ったようだ。

当たり前のように犬夜叉におんぶされていたあの頃…
危険な目にも何度も遭った。苦しくて、切ない想いを押し殺したのもこの背中。
だけど温かくて愛しくて…
しがみつくふりして顔をうずめると、いつもお日様のにおいがしていた。

過ぎし日の思い出が後から後から湧き出てくる。
かごめは自分の頭を犬夜叉の背にそっと預けてみる。
…離れている間も、何度も思い出したその背中からは、変わらずお日様と森のにおいがして
何よりもかごめを安心させた。

…やっと、ここに…


風にはねる銀の髪が日に透けてキラキラと煌めく。
その様をかごめはただぼぅっと眺めていた。

 

 

 

 

 

「着いたぜ、かごめ」

まどろみかけていた意識が犬夜叉の声で引き戻される。
はっと顔をあげると、目の前は一面、薄桃色の世界…
見事な枝振りの桜の大木が、その花弁を惜しげもなく風に舞わせ、今を盛りと散り際を
誇っているかのようにも見える。
かごめの中で、いつかの記憶と重なる。

「…覚えてるか?この場所。この桜だけ遅咲きみてぇで、まだ花残ってんだ。」

…あれはまだ犬夜叉と出会って間もない頃だったろうか。
花見がしたいと言ったのを断られ、一人でウロウロと戦国の地を歩き回ってやっとみつけた桜の木。
その根元に腰を下ろして、犬夜叉の悪口を一通り並べてみたが、独りで怒ってる事に虚しくなった。
…静けさの中、ハラハラと舞い散る花弁を見ていると、この世界で自分は本当に独りなのだと思い知り
加えて四魂の玉探しの旅や、現代の事などが次々に頭をよぎり、不安は募るばかりで。
帰ろうにも、どこをどう歩いてきたかも覚えておらず…夕闇も迫り、自分の無計画さに呆れて情けなくて
涙が出て、途方に暮れていたあの日…

そんな時に犬夜叉が来てくれた。

嘘みたいに嬉しくてまた涙が溢れてきた。
怒鳴られるんじゃないかと、そっけない態度をとってみたが犬夜叉は何も言わず、黙って隣にいてくれた。
触れ合う肩から感じる熱が思いのほか温かくて、知らない間に眠ってしまい、朝方目が覚めると犬夜叉の
腕の中。驚いて思いきりおすわりを叫んでしまった事などが鮮やかに思い出されてきた。


「うん、あの時の桜ね…」

かごめは思い出し笑いをこらえながら懐かしそうに目を細める。

「…今、笑いこらえてんだろっ。…そうだ、あん時ゃ言霊くらったんだっけなぁ」

かごめを背中からおろして、犬夜叉は恨めしそうに横目で睨む。

「だって……つい…」

犬夜叉の視線をかわしつつ、かごめは散り積もる花弁を掌に掬うと、ぱぁっと指を広げる。
吹く風にさらわれ、薄桃色の花弁がひらひらと舞い踊る。

…この独特の色を現代のどこかで見たような気がする…
と、ぼんやりと考えながら、かごめは大木の幹にそっと触れてみる。
ひんやりと乾いた感触が手のひらに伝わる。

「…かごめ、聞いてくれ」
「…ん?」
「今まで…たくさん傷つけて、辛い思いもさせてきたのに、かごめはいつもおれのそばにいてくれた。
それをおれは当たり前のように思っていた事…離れて独りになって、初めて…気付いたんだ」
「犬夜叉…」
「最初は罰なんだと思った。かごめの優しさに甘えて、誤魔化して、煮え切らなかった自分への…
だけど、そんなのは後悔の言い訳で…だから、もしまたかごめと逢えたなら…今度こそ伝えねぇとって…
……だから、絶対に諦めねぇで待ち続けるって、この場所で誓った」
「…う…ん…?」

かごめは犬夜叉の言葉を頭の中で反芻しながら、ゆっくりと頷く。
犬夜叉は、一度目を伏せ、次に意を決したようにかごめを見据える。

「惚れてんだ」
「…!」
「どうしようもねぇくらい、おれはかごめに惚れてる」

「…ぅ…そっ」
「な…っうそじゃねぇっ」

かごめの顔がみるみるうちに赤くなる。
それでも必死で顔を上げて犬夜叉をみつめ返す。

「…す…好きって…言ってくれた…の?」

熱っぽく潤んだ瞳に、犬夜叉の理性が吹っ飛びそうになる。

「だーーーーっ!!そう言ってんだろっ!好きで惚れてんだってっ
…ったく、やっぱ柄じゃねぇっっ」

荒く頭を掻き毟りながらそっぽを向く犬夜叉の耳がせわしなく動く。

「犬夜叉ぁ…」

かごめは犬夜叉の背に勢いよく抱きつき、顔をうずめる。

「……一緒に生きてくれと言っときながら、今さら…だけどな…」

照れ隠しのような自嘲気味の言葉に、かごめは込み上げてきそうになる涙を堪える。

「…ありがとう…嬉しい…」

まるで猫が甘えるように、かごめは犬夜叉の背中に頭を摺り寄せる。
そんな風に自分に甘えてくるかごめが、犬夜叉は愛おしくてたまらない。

 


…ずっと、言いたくても言えなかった…
伝えれぬまま禁忌とさえ思えて、胸にしまい続けてきたその感情は、離れている間に
伝えたくてたまらない言葉に変わっていた。

惚れてる、好きだ、愛しい…そんな言葉では到底足りないけれど、伝えたかった。
かごめが喜ぶのなら、笑っていてくれるのなら…。


背中の贅沢な温もりを感じながら、犬夜叉は回された腕に手を重ねる。

「もう、一人で泣かせたりなんかしねぇ。
お前が向こうに置いてきたものの代わりに、おれがなる」
「…犬夜叉」

かごめはしがみつくようにぎゅっと犬夜叉を抱きしめ、より一層体を預けてくる。

愛しい女の熱によって疼き始める邪な感情を、犬夜叉は頭の隅へと押しやる。

…これ以上、何も望んではいけないと解っていながら、焦がれた本能はそれ以上を望む。


腹部に巻きつけられた腕や背中から感じる無防備な熱は、言わば信頼の証とも言えるだろう。
抑える感情の裏側で、葛藤と戦いながらも触れて感じたい欲求がほんの少しだけ上回る。

「…なんで、この場所にきたか、わかるか?」

言いながら犬夜叉は回されたかごめの腕を自分の体からほどき、かごめに向き直る。
言葉の響きに、違う含みがあるようで、かごめは少したじろぐ。

「…えっ桜を見せに…」
「それもあるけどな。…井戸んとこは、結構、人目につくんだぜ」
「…それがどうか…したの」

言わんとしている事を推し量ってみたが、また的外れのような気がして、かごめは眉間に皺を寄せる。

「…おま…結構鈍いのな…」
「どういう意味よっ」

その時、ザァッと突風が吹き、花弁が一斉に宙に舞った。

「…あ、目に…っ」

ゴミが入ったと、かごめが目を瞑る。

「…ほら、見せてみろ」

犬夜叉はかごめの腰を引き寄せ、顎をつかむと上を向かせる。

 

 

 

 

 

 

チュッ

 

 

 

「…っ!?」

 

突然に唇に温かいものが触れ、かごめは面食らった。
目を開け、数回瞬きを繰り返した後、いきなり犬夜叉の胸ぐらをぐいと掴む。

「…い…今、犬夜叉っ何したのっねぇっ」


「…」

「ちょ…っあれ、ゴミとれてる…じゃなくてっ…ねぇ犬夜叉っ今、口に…っ」

言い迫るかごめを、犬夜叉は腕の中に包み込んで黙らせる。

「…やかましいっつべこべ言ってっともう一回するぜっ?」
「…っ」

腕の中のかごめがビクリとして一瞬で静かになる。

犬夜叉はかごめの耳元に畳み掛けるようにそっと囁く。

「…抑えんのも限界かもな…覚悟しとけよ」

確信犯めいた言葉に、改めて状況を理解したかごめは火が出そうなくらい顔を赤らめる。
犬夜叉は息を一つつくと、ぱっとかごめを放し、しゃがんで背中を向ける。

「…じゃ戻るか。乗れよ」

「……っ」

かごめは赤い顔のまま、犬夜叉の後頭部をじーっと睨む。

「…んだよ、珊瑚達に早く会いてぇだろ?」

かごめは赤い頬を膨らませ、ぷいっと横を向き口を尖らせる。

「…何よ、何でそんな余裕なのよ…(そりゃ犬夜叉は初めてじゃないだろうけど…)

最後は口の中で呟き、渋々といった表情で犬夜叉の肩に手をかける。

「あぁ?何ボソボソ言ってんだ。…掴まったか?」

かごめは腑に落ちないという顔をして、犬夜叉の耳をぐいっと引っ張る。

「…痛ぇっ…にすんだよっ」

振り向いた犬夜叉の顔が赤く、かごめは驚く。

「……おれが余裕なわけねぇだろーが。…ったく。かっこつかねぇ…」

ふて腐れたような声で呟き、犬夜叉は腰を上げる。
再び肩にかごめの手がかかるのを確かめてから、犬夜叉は駆け出す。
元来た道を跳ぶように駆け抜け、眼前の景色もどんどん変わって行く。
かごめは目を瞑ると肩から手を放し、犬夜叉の首にそっと、腕を回す。

「…っ」

犬夜叉の耳が反応する。かごめはその耳元に、気持ちを込めた二文字の言葉を息だけで囁く。

「!」

一瞬体勢を崩しかけた後、犬夜叉は力強く地を蹴って、さらに加速して森を駆け抜けていった。


 

 

 





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