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5-2.

 

 煌々と闇夜を照らす、良い月夜だった。
積もった雪に月光が反射し、いつもより明るく遠くまでも見渡す事が出来た。吐く息さえ白く、はっきりと見える。
だが、かごめはそれきり犬夜叉の顔を見る事ができなかった。

 帰り着くなり、犬夜叉は囲炉裏に火を起こし始めた。
炎がちらちらと燃え始めるにつれ、かごめの不安も勢いを増していく。
…そもそも、何かの誤解があってこうなっているのだから、その誤解を解かなければ…

「犬夜叉…さっきの事だけれど…何か誤解が…」

途中で言葉を切ったのは、犬夜叉が上衣を脱ぎ始めたからで…

「え…あの、犬夜叉…?」

かごめは意図が分からず、ただ犬夜叉の動きを目で追っていた。
囲炉裏の炎が犬夜叉の瞳に映りこみ、怪しい色に光る。
次の瞬間、犬夜叉は獲物を捕らえるように素早く、かごめに飛び掛っていた。

ガタタッ

「い…たぁ…」

音を立て、したたかに尻餅をついたかごめは、自分が板の間に組み敷かれている事に気付く。

「…やっちょっと犬夜叉!?」

突っぱねようと前に出した両腕は簡単に片手でまとめられ、頭の上に押さえ込まれてしまった。

「…何する…の」

不安げに言葉を発する唇を、犬夜叉が乱暴に塞ぐ。

「…んっむぅ…っんーっ」

繋がった口から酒臭い息が流れ込んできて、かごめは咽(むせ)そうになる。…どれだけ飲んだというのだろうか。
普段からあまり飲まない犬夜叉が、弥勒と居る時、付き合い程度には飲むようになっていた。
しかし今夜の量は、度を越え過ぎていた。そこら中の空気全てが酒気を帯びたようで、一滴も飲んでいないかごめ
でさえも、息をするだけで酔ったように力が抜けていくようだった。
かごめは理性を保とうと頭を振り、唇を外すと早口にまくし立てた。

「…犬夜叉っあ、あんたっかなり酔ってるでしょっねぇっ落ち着いて水でも飲ん…」

途中でまた口を塞がれ、今度は隙間をこじ開けるように、生温かい舌が割り入ってきた。強烈な酒のにおいに混じり
仄かにチョコレートと洋酒の味がする。その甘い舌はかごめの舌をとらえると、無遠慮に絡みついてきて離れない。

「んんーーっんーっ」

苦しさのあまり首を振ると唇が離れた。かごめがホッとしたのも束の間、犬夜叉の舌は唇から顎を辿り、その白い首へ
と移動しただけだった。かごめは小さく声を上げて体を強張らせる。

「…唇…次にこの細ぇ首…そして…」

独り言のように呟くと、犬夜叉はかごめの首筋を味わうように舌を這わせる。

「…気付いてねぇだけで…盗み見してやがんだ……」

「…何言って…っは…ぅっやめ…っ」

抗う言葉と同時にかごめの顎が上がる。

「…イライラするぜ…あいつらがかごめを見る度に…おれは…っ」

「…だ…からっ皆そんな目で見てないって!心配しすぎよ…っ」

抵抗しようとするが、体の自由がきかない。一方で、ねっとりとした舌の動きに呼応して、別の感覚が呼び起こされそうに
なり、かごめは必死でかぶりを振る。だが、頭の中はすでに霞がかかったようにぼうっとして、思考も奪われつつあった。
首筋の弱い部分を何度も舌が行き来し、そのゾクリとする感覚に背筋が仰け反る。
犬夜叉の舌はかごめに纏わり付き、執拗に攻め立てていく。
 やめてと言いながら、次第に息も浅くなり、どうしても体が反応してしまう。
そんな自分が嫌で、かごめは逃れようと精一杯体を捩(よじ)る。

「…イヤ…こんな…!犬夜叉…ただ怒ってるだけじゃない…っ」

抵抗空しく、犬夜叉は上半身でかごめを押さえ込むと、自由な方の腕を下へと伸ばす。

「…っと、ここもか。…前はよく短けぇのはいてたしな…」

緋袴をたくし上げながら、犬夜叉は太腿をゆっくりとなぞる。その指が焦らすように、内側へと滑り込んで来て、かごめは息を
つめた。…直に触れられた部分が粟立っていく。

「…くっ…や…ぁ…っ」

「…こうやって、見られてた事…知らねぇだろ…。どうすんだ、おれが居ねぇ時にあいつらが来たら…」

犬夜叉は、柔らかい肌に軽く爪を立てて、触れるか触れないかの程度に撫でる。
かごめは露になった膝に震えが這い上がってくるのを感じた。

「…それでもお前ぇは笑顔で迎えんだよなぁ…?押し倒されて、伸し掛かられても…っっ」

「…違う…っ!犬夜叉っヤダッ」

 肌を合わせるのが嫌なわけでは決してない。今までだって、そこに愛情を感じたからこそ、求められるままに応じてきた。
重なる度に体中で好きだと言われてるようで、本当に幸せだった。

 …が、今の犬夜叉はただ怒りにまかせ、酒に呑まれたように自分を失っている。その目は明らかに据わっていて、かごめ
を見ているようで見ていない。

「ねぇっお願いよ犬夜叉!正気に戻ってっ」

かごめの悲痛な叫びも犬夜叉には届かない。
犬夜叉の指が、かごめの足の付け根へと辿り着き、中心の膨らみをなぞり始める。

「いやッ…もヤメテ…っっ」

かごめは耐えきれなくなって涙目で懇願する。最初に感じた熱はどこかへ身を潜め、代わって現れたのはあからさまな嫌悪。
…それは犬夜叉であって、犬夜叉ではない、まるで知らない男に体を触られて一方的に攻められ、嬲(なぶ)られていくような
嫌な感覚だった。
犬夜叉は、怒りの原因であると思われる妄想にとりつかれ、空っぽの抜け殻のようになってかごめを弄んでいく。

 …もう言霊で抑えるしかない。そう思って、かごめは震える唇に息を吸い込んだ。

「…じ込めちまえばいいのか…?」

ふいに犬夜叉が呟く。

「…え…」

「…他の男と…笑い合うぐれぇなら」

犬夜叉は、焦点の合わない虚ろな目をかごめに向けるとぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

「…ぇんだ…そうやっていつか…かごめが…人間の男を…選ぶんじゃねぇかって…」

頭の中でブツリと何かが切れる音がした。
かごめの我慢が限界に達し…文字通り「堪忍袋の緒」というものが、切れてしまったのだ。
すぅっと軽く息を吸い込むと、ボソリと囁く。

「おすわり」

ドオォッ

「きゃぁっ」

加減したつもりが、予想していたものより数段強い衝撃を体に受け、かごめは悲鳴をあげる。言霊の発動によって犬夜叉の体が
地面に吸い付けられるように、倒れ込んできて、その下敷きになってしまったのだ。
ちょうど胸がクッションの役割をしたのか、犬夜叉の顔はかごめの胸に埋もれている。

「…けほっ…犬…夜叉?」

犬夜叉はピクリとも動かない。
その肩を揺すってみたが、反応もない。

「…え…何?どうし…」

さらに激しく揺すろうとすると…

「…ぐー…」

 かごめの胸に顔を埋めたまま、犬夜叉はくぐもった寝息を発していた。
 かごめはしばし固まっていたが、やがて諦めたように深いため息をつくと、一言呟いた。

「…重い…」

 

 


 

 

 




 翌朝もよく晴れた気持ちのいい天気だった。
朝餉のいい匂いが寝ている犬夜叉の鼻を擽る。

「…ん…あ、勝負は…って痛ぇ…っっ!?」

体を起こすなり、襲ってきた頭痛に頭を抱える。いつの間に帰ってきたのか、自分で布団に入ったのかすら覚えていない。

「あ、起きた?おはよう」

かごめが気付いて犬夜叉に近寄る。
犬夜叉は二日酔いの苦しみを味わっていた。例えるなら、釣鐘の中に閉じ込められ、外から鐘をガンガン撞(つ)かれてい
るような…。…割れるというほどではないが、その痛みは今まで味わった事がなく、頭を押さえずにはいられない。
 犬夜叉は眉間に皺を寄せ、昨夜の記憶を無理やり掘り起こしていた。…弥勒の家でしこたま飲んだ事までは覚えている。
…だがその後の記憶がすっぽり抜けていて思い出せない。上衣を脱ぎ、布団に寝ていたという事は、昨夜はかごめと…。

「…だめだ…思い出せねぇ…」

さらに頭を抱え込んでしまった犬夜叉に、かごめが湯呑みを差し出す。

「…そう、覚えてないの……はいコレ飲んで」

喉が渇いていた犬夜叉は、湯飲みを受け取るとゴクリと喉を鳴らして飲んだ。

「……ッアヂッ…つか苦…イヤ、甘っっ!?」

「二日酔いに効く薬湯よ。…特別に言霊を唱えながら作ったの…ちゃんと飲んでね」

かごめが笑顔で恐ろしい事を言う。もちろんその目は笑ってなどいなかった。

「……言霊って…なんかかごめ…怒ってんのか?」

「いーえ、別に。…さあ、飲み干して」

この場は言うとおりにしないと収まりそうにないだろうと察した犬夜叉は、一呼吸置いて、おとなしく薬湯を一気に飲み干した。

「……ウェッ…ぐっ……・・
・マズ…ッ

胃袋が拒否して逆流しそうになるのを必死で飲み込む。すると、不思議な事に段々と落ち着いてきて、頭痛もひいてきたように
思えた。
素直に飲み干した犬夜叉を見て、かごめの気持ちも幾分和らぐ。

「…はぁ…その、悪かった…な…。覚えてねぇけど、おれが何かしたんだろ?」

バツの悪そうな顔をして、犬夜叉が目を伏せて言う。そんなに下手に出られると、かごめは益々許さざるを得なくなっていた。

「…覚えてないんだったら、もういいわよ」

ため息まじりにかごめも折れて、犬夜叉が持っている空の湯呑みに手を伸ばす。
その時を待っていたかのように、犬夜叉はかごめの手を掴むと、慣れた動きで寝床へと引き込む。

「きゃあっ…ちょっと、犬夜叉!?」

「…こうすると思い出すかもしれねぇだろ?手伝え」

昨夜と同じように組み敷かれ、かごめの脳裏には嫌な記憶が甦っていた。

「…冗談でしょっ離して!」

「…草太も言ってただろ?ばれんたいんでーとやらのお返しもしねぇとな」

さも楽しそうに言いながら、犬夜叉の手がかごめの胸を触る。
途端に電気が走ったように、辺りの空気が張り詰める。

「…お返しは……来月って……草太に聞かなかった…?」

かごめが引きつった笑いを浮かべ、ゆらりと起き上がる。…青白い閃光までもが見えそうなくらいの怒りを感じ、流石に不穏な
空気を読み取ったのか、犬夜叉が慌てる。

「お…おい待て。…わかった、悪かった…離すからっ」

犬夜叉が離れた瞬間、かごめは思いっきり叫んだ。

「おすわりーーーーーーっっっ!!!!!」

ドォォォォォォォォンッッ

 物凄い地響きと共に家屋がギシギシと軋んだ。
モウモウとした土煙がおさまると、床板を突き抜けて地中に埋まった犬夜叉が見えた。…やり過ぎてしまったかと、かごめは少し
だけ反省したが、すぐに思い直し、両手をパンと胸の前で合わせる。

「…さてと、朝ごはん食べたら、洗濯して、楓ばあちゃんとこに行こっ」

床に転がった湯呑みを拾うと、少しこぼれた雫を布きんで拭き取る。布には茶色いドロッとした染みがつき、甘いチョコレートの芳香
を漂わせていた。
 かごめは立ち上がると、土間へと向かい、食事の仕度を再開する。
水瓶の蓋を開けると、水面に映りこむ自分の顔が見えた。かごめはひしゃくで掬って、その輪郭を掻き消す。…が、しばらくすると
手を止めて、やがて考え込んでしまう。
 …思い悩むは、昨夜からほとんど寝ずに考えていた事だった。
楓のところで仕事をする以上、これからもたくさんの男達と関わっていくのは必至である。犬夜叉の言うような目で、自分を見ている
男がいるとは考えづらいが、これ以上変に心配かけないように、自分も気を付けなくてはならないと肝に銘じた。

『いつか人間の男を選ぶんじゃねぇか…って…』

昨夜から何度も思い出されるこの言葉は、かごめの中に棘のように刺さったまま、鈍い痛みを放っている。

(…他の人となんて…そんな事、あるわけないじゃない…)

悲しさ半分、残りは悔しさと、わからない感情が込み上げてきて、かごめはぎゅっと手を握り締める。

「…ばかっ人間とか、妖怪とか関係ないのよっ…あたしは…犬夜叉だから好きなの…そのままの犬夜叉とずっと一緒にいたいのよっ」

沈んでいた澱を吐き出すように、かごめの口から言葉が零れ落ちる。
すると、いきなり強い力で抱きしめられた。

 水面に映る長い銀の髪と獣耳…
いつの間に近くに来たのか、犬夜叉が背後からかごめを抱きしめ、その頭を摺り寄せてきた。

「……かごめが…っきだ…」

発せられた言葉に、かごめは目を見開く。

「い…ぬや…」

「こっち見んな…このままで…」

「……」

さっきまでの不安な気持ちは消えていた。昨夜とは違う、その温かい腕に包まれて、かごめの心は幸せな気持ちで満たされていった。

 ぶっきら棒な態度の裏側にある優しさも、我が儘で、すぐ妬いて嫉妬心を剥き出しにするところも、計算無しに、言葉一つで簡単に心を
奪っていくところも、犬夜叉のすべてが愛しくてたまらない。

「…ずるい…」

かごめは小さく呟くと、まわされた腕に自分の手を重ねる。

 これからもいろいろな事が二人の間には起こるだろう。些細な事で喧嘩して、仲直りして、お互いの事を少しずつ知っていく…
…ずっと一緒に寄り添って、恋人同士のような夫婦になれたら…とかごめは思う。

 波乱の内に幕を閉じた今年のバレンタインデーは、犬夜叉の知らない面を知る事ができて、かごめにとって忘れられない日となった。

 …ふと、来月のホワイトデーに思いを巡らすと、「お返し」の文字が浮かんだが、すぐさま頭から追い出した。

何もいらない。

…ただ、何事もない事を心から祈るかごめであった。

 

 

 

END
 


   *後書き*

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
書きたい内容をまとめるという事と、まとめるという事は書きたい事以外の事もまとめて書かねばならないという事に気付くという…
本当に頭を悩ませた話となりました。
 最初はSSでしたから、短く終わらせるつもりだったので、軽い気持ちでバレンタイン直前に書き始めたのに、どんどん膨らませ過ぎ
て、収拾がつかなくなったのです(いつものことですが)。
思い浮かぶ内容を文字で表すのって、大変だなーとあらためて思いました><;

 かごめちゃんは「ここ(戦国)で生きていく」と最終巻でありましたから、その後の井戸は機能しなくなったのか、あえて帰らないと決
めたのか、勝手な推測ですが、ホイホイ現代に帰る事はないだろうなと思い、この話を考えました。

楽しんでいただけたら幸いです。


                                        2012.03.02         みらの
 

 

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