2.

いつもと変わらない朝だった。

当たり前にまた日が昇り暮れて行く。
繰り返される、日常。

 …何も変わらない。
流れる季節に、かごめだけがいない、ただそれだけ。

 

 

吹く風にほのかな甘さを感じ、犬夜叉はふと空を見上げた。
…雲だろうか。心持ち霞がかかったような空に、遠くの山際の淡い桜が、その境界をぼかすように咲いていた。

風に舞って運ばれてきた薄紅色の花弁が、いたずらに弧を描きながら頬を撫でていく。
鼻先をくすぐる柔らかい香りを辿ると、前方の小高い丘の上に立つ桜の大木が目にとまった。

 

(…ああ、今年も咲いたんだっけな…)

 

見事な枝振りに咲き誇る花々が、風の吹くままに散らされていく。
その行方を目で追いながら、犬夜叉の足は勝手に丘を登り始めていた。

 …あの日の風の匂いをまだ覚えている。

 ほのかに香る花と…
それに交じった、かごめの匂い…
記憶の糸を辿るように、犬夜叉はそっと目を閉じた。
 

 

…あの頃は、まだ出合って間もない頃で、思えば喧嘩ばかりしていた。

花見がしたいと言い出したかごめに、桜はもう散ってしまっただろ、何面倒な事言ってんだ、と突き放したのはおれだった。
かごめは、何かを言いかけ、途中で諦めたのかどこかへ行ってしまった。

そのまま…


…四魂の欠片探しも、悔しいがかごめがいないとはかどらない。

かごめの後を追う事もしなかったおれは、気ままに一日を過ごし、夕暮れ時にたまたま通りかかったこの丘で
桜に交じったかごめの匂いに気付いた。


周りの桜はもう葉桜になったというのに、この大木は遅咲きなのか、今まさに散り際の最期を誇るように
はらはらと花びらを落とし…
その中に、いつからそうしていたのか、頭や肩に花びらを積もらせて、まるで埋もれるようにかごめはただじっと座っていた。

 その表情は長い髪に隠れてよく見えなかったが、その光景だけ目に焼きついた。
何もかもが茜色に染まり、桜もかごめも、やがて来る闇に飲み込まれてしまうような錯覚に囚われ
おれは知らず早くなる鼓動と不安に息苦しさを覚えていた。

その内、ふと振り返ったかごめがこっちに気付いた。

『…なんだ、いたんだ…』

それだけ言うと、かごめはまた前を向く。

音も立てずに傍らまで行くと、その瞬間、突風が吹き抜けた。
驚いた顔で髪を押さえるかごめと、かなり近い距離で目が合う。

舞い上がる花びらと、浮き上がる輪郭。見開かれた瞳は潤んで、夕焼け色に染まった頬には幾筋もの涙の痕…

思わずはっとしたおれに一瞬気まずいような顔を見せて、かごめはおれの視線を外すように前へ向き直る。

 

…一人で、泣いていた?
まさか。
…いや…こいつ、本当は、寂しいんじゃ…
…寂しい?この気の強い女(アマ)が?
いやいや、そんなはずはないだろう…
と、浮かぶ考えをことごとく打ち消す。

 …じゃぁ何で涙なんか…


じっとみつめるおれの視線に、かごめは困ったような顔をして

『…ふぁぁ…なんだか寝ちゃってたみたいで、気が付いたら夕方なんだもん。あくびばっか出ちゃって…』
いかにもという感じにわざとらしくあくびの真似をして見せた。

…その仕草で、その言葉も今までの態度も、強がりからなのだと瞬時にさとった。

確かに向こうっ気の強い女ではあった。
だが、住んでいた世界をいきなり離れて、誰も知らないとこで当てのない旅に出ろなんて、考えてみれば
到底無理な話なのかもしれない。


…おれは何も気付かなかったふりをして、黙ってかごめの隣に座り、眼下に広がる景色を眺めた。
かごめは安心したような声で、指をさしながら、ばばぁの小屋だとか井戸だとかの場所の目星を示す。

見下ろせば、田畠には蓮華や菜の花が咲き乱れ、その間を縫うように立ち並ぶ木々や、小屋から立ち昇る夕餉の支度の煙…
それらが優しい茜色の光に包まれて、その中に自分もかごめも居て。
穏やかな光の中、今までに感じた事がないくらい気持ちが安らぐのを覚えた。
時折巻き起こる柔らかい風が、ふわりとすぐ横の優しい匂いを運んでくる。

 

…ありきたりの風景なのに、ただ、かごめが隣にいるだけで、なぜこんなにも違って見えるのだろう。

だけど、なんだか居心地が悪くもあり…
胸の中心がもぞ痒く、それでもずっとこうしていたいような…初めて感じるわけのわからない不安定さにおれは戸惑っていた。
そんなおれを知ってか知らずしてか、かごめはその内、寝息を立てて寝てしまった。

 

…おれの肩に身を預けて。

 

からかわれてるのかも、と内心思いながら、そぉっと顔を盗み見してみた。

…なんだ、この安心しきった顔は。

おれは拍子抜けしたような気持ちになったが、そのままかごめを起こさずに寝かせていた。

辺りが夕闇色に染まり、宵の星が顔を出す頃には、かごめはおれの胸にすっかり収まるように、眠っていた。
こんな吹きっさらしの丘の上、夜はまだ冷えるだろうに。
おれは腕をまわし、呆れるくらい薄着の身体を衣で包んでやった。


とくんとくん…感じる鼓動は、どちらのものか…。
花の中の、別の甘い香りに包まれて、おれは、初めて腕の中のかごめを意識した。

そして、また明日から始まるであろう、途方もない長い旅路を思い、少しだけ笑った。


 

 

 

ザァー…ッ


吹き上がった風に、過去から呼び戻されるように、ゆっくりと目を開く。

あの時と同じように、相も変わらず桜の大木はこの場所にあり、花びら、匂い…何も変わらない。
足りないのは、かごめ、おまえがここに…おれの隣に居ない事ぐらいで。

だけど、もう、今のおれにはあの時ほどはっきりと色がわからない。

かごめが居たから、おまえが隣に居て教えてくれたから、おれは知る事ができたんだ。



記憶だけがいつまでも色褪せない確かなもののようで
その中で笑うおまえの周りだけが、いつまでも鮮やかで、眩しくて…
思い出にはしたくないのに、思い出さなければ出逢えない、幻。
出来る事なら、そこにずっと留まっていたかった。
かごめがそこに居るのなら。
何度も何度も求めすぎて、本当はもう、おかしくなってしまっているのかもしれない。


…自分の本当の居場所すら…見失っちまったんだ…


勝手に過ぎて行く時の流れに、取り残された想いも、後悔も、抗うことすらできずに組み込まれ、ただ生きているだけの今…

変われないのは、自分だけなのだとも、わかっている。


だけど、どんなに時が流れようと、どんなに周りが変わろうとも、何も変われない。



…奇跡が、もしも起こるのなら…



ーそう都合のいい事ばかり考えて、在りもしない事にすらすがってしまうのは、逃げなのか。



元々交わるはずのない、ふたつの世界に生きていたおれ達が
それでも出会う事ができたのは、言うなれば四魂の玉のもたらした奇跡だったのかもしれないが…

ー…四魂の玉は消滅したー


だから…?

「…元の…暮らしに戻れってのか…?」

乾いた唇から怒りにも似た感情が漏れ出す。
それをきっかけに、今まで何度も押し殺し、澱のように溜まってきた思いが堰を切ったように溢れ出す。
わななく拳を握り締める。ぶるぶると震えるそれは、治まるどころか、一層強く肩をも震わす。



「…たった…それだけの為におれ達が出会い、別れたってのかよ…?」
 

「…ざけんな…」

噛み締めた唇からは血の味が広がる。



ー今更無かった事になんてできるかよ。忘れるなんて、諦めるなんて、冗談じゃねぇ。

ーおれは…


ーこんな結末、認めねぇ…どんだけでも捜して待ち続けてやる。


ー…それしか、おれにはできねぇから。

 

ー…いつか、もしも…またおまえが……


ーそしたら、今度こそ絶対に……っー













人知れず、感情を吐き出すその朱色の肩に、舞い散る花びらが優しく降り積もっていく。

いつの間にか霞んでいた空の切れ間から光が射しこみ、桜の周辺を柔らかく照らす。
しばらく俯いていた犬夜叉は、次の瞬間、ふいに立ち上がり、力強く地を蹴った。
真っ直ぐ前を見据えたその瞳には、今までにないほどの決意の光が宿り、風のように駆けて行く。


その小さくなっていく後姿を、桜の大木だけが、いつまでも見送っていた。







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